20代から30代の男性を中心に盛り上がりを見せている「ポータブルオーディオ」ですが、その“台風の目”となっているのがAstell & Kernの「AKシリーズ」であることは異論のないところでしょう。私もAK70で普段から音楽を楽しんでいますが、フラッグシップモデルである「AK380」をはじめとする「AK300シリーズ」にあこがれを持っている人は多いのではないでしょうか。
そんなポータブルオーディオファン垂ぜんのAK300シリーズ(AK380/AK320/AK300)に、とんでもない周辺機器が登場したのをご存じでしょうか。その名も「AK Recorder」。AK300シリーズを装着することで、何とAK300シリーズが録音機器になるというのです。マイクは別売ですが、世界的なマイクメーカーであるDPA社の小型コンデンサーマイクとケースなどが付属する「AK Recorder MIC KIT」も販売されています。
AK380にAK RecorderとDPA製のコンデンサーマイクを装着したところ
DSD形式では最大5.6MHz、PCM形式では最大384KHz/32bitの録音が可能だという“モンスターレコーダー”は、果たしてどれだけの実力を発揮するのでしょうか。
この“モンスターレコーダー”がどれだけの音を録ってくれるのか、楽しみです
こちらはオーディオテクニカのバックエレクトレット・コンデンサー型マイク「AT4021」。
DPA製のマイクとではどのように音が変わるのかも興味深いところです
以前にもあるサイトの連載企画で、大井川鐵道のSLの音を生録するという体験取材をしました。1日1往復しかしないSLの音を、うまく録音することができるのか。そのときは自動車で出かけたので、車をどこに止めればいいのか、いい撮影・録音ポイントはあるのか。音はちゃんと録れるのか……。出張ロケで失敗したら目も当てられませんから、ワクワクと同時にドキドキが止まらない取材でした。
私が約10年ほど前に撮影した大井川鐵道のSLの勇姿。鉄橋を渡るSLの姿はたまらないものです
もう一度大井川鐵道に行くか……なんて考えていたのですが、実は東京在住の私にとって、もっと身近な場所にものすごくいいSLが走っていました。それが秩父鉄道の「SLパレオエクスプレス」なんです。
蒸気機関車の音を生録するのに、なぜSLパレオエクスプレスが素晴らしいのか。それは「電車で行っても、往路だけで3回も撮影・録音チャンスがあること」なんです。
何を言ってるのか分かりますか? 私も分かりませんでしたよ。Travel.jpの「日本でココだけ!何度も追い抜き何回も撮影出来るSL列車!!~秩父鉄道乗り撮り歩き」を見ると、実はこのSLパレオエクスプレス、「エクスプレス」という名前と違って実は普通列車よりものんびりと走行しているのだとか。普通列車に乗って途中下車し、SLの勇姿を撮影・録音し、また次の普通列車に乗ってSLを追い越し……というのを3回も繰り返せるんだそうです。
これは関東在住で生録に興味のある人は、確実に記憶にとどめておいた方がいい情報ですよ。
秩父鉄道周辺の土地勘は全くないですから、前出のサイトの記事を参考にしてスケジュールを立てました。
まずは平野部を疾走するSLの勇姿をとらえることにしました。今回のテーマはあくまでも「生録」ですが、SLの楽しみは当然「音」だけではありません。ここでは1日に1往復しかしない(まあ、1往復してくれるだけでありがたいのですが)、その勇姿を写真に収めるのも、生録に負けないほどの魅力であり楽しみでもあります。
明戸駅を降りてから10数分後にSLが通過するので、電車の中でAK Recorderのセッティングを済ませておきます。駅を降りたら録音場所である踏切まで向かい、設置完了。
踏切のすぐ脇にAK Recorderを設置し、SLが走り去るのを待ちます
ここで問題になるのが「録音レベル」です。録音レベルが高いと、音量のピーク時(例えば汽車が汽笛を鳴らしたとき)に音が割れてしまいます。しかし逆にレベルが低いと、せっかくAK RecorderとDPAのマイクで可能になる広ダイナミックレンジ(小さい音から大きい音まで記録できる幅の広さ)を生かせません。電車を降りてから10数分という短い時間では“一発録り”になってしまうため、そこが最大のネックです。もしSLの生録にチャレンジしたいという人がいたら、事前に近所の普通電車とかでもいいので、一度録音レベルの当たりを付けておくといいと思います。
踏切の音が鳴り響き、遠くからSLが近付いてきます
カメラのシャッター音が邪魔になるといけないので、私は少し離れた場所からSLの撮影に挑みました。
バッチリ撮れて大満足!
第1の生録ポイントは小手調べというと何ですが、音もSLの勇姿も、とても無難に押さえられるという意味では絶好のポイントでした。
続いて向かったのは、「長瀞ライン下り」でも有名な観光スポットである長瀞駅の1駅先にある上長瀞駅です。ここから10分ほど歩くと、荒川の川岸に出られます。ここでの撮影および録音のポイントは、鉄橋を渡るところです。
SLがもくもくと煙をたなびかせながら鉄橋を渡る姿なんて、SL好きや鉄道好きでなくとも、カメラ好きにはたまらないところでしょう。実際、私が撮影場所を訪れたときにも、河川敷に多数のSLファンやカメラファンが三脚などを立ててSLが走り去る姿を狙っていました。
上長瀞駅から徒歩10分ほどの川岸にやってきました。
好天に恵まれた土曜日ということもあって、たくさんの観光客を乗せた「長瀞ライン下り」の船が何度となく流れていきます
生録という視点で重要なのは「鉄橋を渡る直前」と「渡る瞬間」。特にたまらないのが汽笛です。SLがどのようなシーンで汽笛を鳴らすのかをご存じのない方も多いかもしれませんが、確実に鳴らすのが鉄橋を渡る前なんです。トンネルに入る直前や、鉄橋を渡る直前、見通しの悪いカーブに入る直前など、SLが必ず汽笛を鳴らす瞬間があります。この汽笛こそが生録で“ぜひもの”として押さえたい音。もちろん鉄橋を渡るときにレールとレールの間を踏んでカタンカタンと鳴らす音もいいのですが、鉄橋を渡る直前に鳴り響く汽笛の音(実際はかなり前から汽笛を何度も鳴らしていたのですが)は、「いよいよ来るぞ!」という期待感で胸をいっぱいにしてくれます。
AK Recorderをセッティングしているのは、Vol.5に登場したライターの武者良太氏
SLの撮影&生録の難しさは、撮影と生録、つまり絵と音のどちらを選ぶかということなんです。長い煙を吹き流しのようにたなびかせながら、鉄橋を渡るSLの姿を全景でとらえたいのであれば、当然遠くから狙わなければなりません。
しかし遠くから狙うと、鉄橋を渡る直前の汽笛の音は遠くに聞こえますし(まあ、遠くで汽笛を聞きながらというのもオツなものですが)、鉄橋を踏みならす音も川のせせらぎなどの環境音に紛れてしまいますし、場合によっては周りにいる人の声まで入ってしまいます。
もちろん、川のせせらぎの音が聞こえる中で、かすかにSLの音が聞こえるというのもいいですよね。そういうサウンドデザインを思い浮かべながら、撮影&録音ポイントを選ぶのがいいのかもしれません。
ここでは、前出のDPA製コンデンサーマイクと、オーディオテクニカのバックエレクトレット・コンデンサーマイク「AT9943」の2つで録音していますので、その音の違いもぜひ比べてみてください。
かなり前から汽笛の音が鳴り響いていましたが、ようやくSLの姿が木々の向こうに見えてきました!
黒煙をたなびかせながら走るSLパレオエクスプレス。列車が長いため、列車全体を撮影することはかないませんでした
埼玉県の熊谷駅を出発して三峰口駅まで向かい、また熊谷駅まで戻ってくるSLパレオエクスプレス。今回は上長瀞駅の次の撮影&生録ポイントとして、秩父駅を選びました。
終着駅……ではないのですが、駅を出る時の汽笛の音を録りたいということで、秩父駅を出発するSLを撮影&生録しました
皆さんシャッターチャンスを逃すまいと、SLの姿をまぶたの裏とSDカードに焼き付けているわけですが、動画で映像と音声を撮るのもいいですし、AK Recorderで音だけを録るのも楽しいもの。興味のある人はぜひ一度、「フィールドレコーディング」というものの楽しさを味わってみてほしいです。
興味を持たれた方は、ぜひAK Recorderで録音した音源を聴いてみてください。特に鉄橋を渡るシーンは、前出のDPA製コンデンサーマイクと、オーディオテクニカのバックエレクトレット・コンデンサーマイク「AT4021」、同じくオーディオテクニカのステレオ・バックエレクトレットコンデンサーマイク「AT9943」の3種類で録音していますので、その音の違いも比べてみると楽しいと思います。
しばらくはSLの汽笛の音が聞こえてきませんが、川のせせらぎの音や鳥のさえずりだけでなく、周囲を包む空気感まで、マイクが違うとまるで違うのがよく分かるはずです。そして、静かな川岸にとどろく、まるで雷鳴のような汽笛の音。これには録っていたときもそうですが、改めて聴いてもその迫力に驚かされました。AK Recorderと高性能マイクだからこそ、まるでその場所にいるかのような高音質録音が可能になっているのではないでしょうか。
写真や動画とはまた違った楽しさが、「音だけの世界」からは見えてくると思いますよ。
今回の音源はこちらからWAVファイルでダウンロードできます
SL踏切_DPA(96kHz/16bit) ダウンロード
SL陸橋_DPA(96kHz/16bit) ダウンロード
SL陸橋_AT4021(96kHz/24bit) ダウンロード
SL出発_AT9943(352.8kHz/32bit) ダウンロード
*上記音源対応の、音楽再生ソフトウエア及び対応デジタルオーディオプレーヤーで聴いてください。
安蔵 靖志
IT・家電ジャーナリスト 家電製品総合アドバイザー(プラチナグレード)。AllAbout 家電ガイド。ビジネス・IT系出版社を経てフリーに。デジタル家電や生活家電に関連する記事を執筆するほか、家電製品やオーディオ・ビジュアル機器のスペシャリストとしてテレビやラジオ、新聞、雑誌など多数のメディアに出演。KBCラジオ「キャイ~ンの家電ソムリエ」に出演中。その他ラジオ番組の家電製品リサーチや構成などにも携わっている。ブログメディア「エレキホーダン」(http://elek-hodan.net/)や「呑むぽん喰うぽん」(http://nomupon.com/)も運営している。